骨の記憶

〜ギガンティック・スカルドラゴン・ストーリー〜

文・中村聡

 

 強い魔力が流れてきた。彼は少しだけ身じろぎをし、頭を上げた。
 しゃらん......黒蜜のような瘴気の底で、彼の巨体がこすれて、小さな音がした。
 ここは、複雑に入り組んだ次元の迷宮に隠された、時空の狭間である。たとえ、酔狂な高位魔導師が迷路を解き明かし、この地を見つけ出したとしても、鋼すら蝕む漆黒の瘴気を前に、引き返すことは必定であろう。
 だから彼は、誰にも邪魔されず、夢を見続けてきた。
 数千年に渡る、長い、長い夢を。

 はるか昔に終わりを告げた、胸躍る戦いの日々。
 彼がひとたび天空を舞えば、あらゆる生物が息を潜め、敵達は必死に身を隠した。
 彼の吐息は大地をも溶かし、彼の咆哮は大海を震わせた。
 彼は、赤の大陸を統べる、冒すべからざる覇王であった。

 時は過ぎ、かつて黄金色の鱗で輝いていた彼の体は、真っ白い骨だけになってしまった。
 灼熱の吐息は紫煙の瘴気と化し、焦がれるような食欲はまどろみに変わった。
 数えきれない陰謀と、無数の戦争を潜り抜けた後に、彼は黒の大陸の戦場で死んだ。そして、死してなお、友となった吸血鬼のために、骸となってこの地を守ってきたのだ。
 金色の竜の名を呼ぶ者はもういない。
 ギガンティック・スカルドラゴン。
 今は、それが彼の名前である。


ギガンティック・スカルドラゴン
ギガンティック・スカルドラゴン

 その時、瘴気をゆらがせ、この異境を訪れたのは、黒の大陸の支配者であった。
 神滅公爵ラインハルト。恐怖と実力をもって、法無き奈落を支配する男である。吸血鬼は年を取るほどに力を増す。ラインハルトは、その理を超え、最古にして最強の吸血鬼である真祖を倒し、その力を我がものとしたのだ。
 5人の王が現れ、世界を滅ぼすという予言がある。
 真祖はその5人の王の1人として数えられていた。
 今やラインハルトこそが「黒の冥王」であり、世界を滅ぼす力の持ち主なのだ。

「変わらぬな、ここは」異形の吸血鬼が言った。
 大きすぎる魔力は公爵の姿を蝕み、今や彼は吸血鬼とは名ばかりの怪物になろうとしていた。だが、その声は昔と変わらず、低く静かに瘴気を震わせた。
 スカルドラゴンは答えない。公爵もまた、答えを求めてはいないだろう。
「ヤツは、いつ来た。ここにだけは、必ず来るはずだ」
 公爵はちらりと、窓の形をした時空の穴に視線を泳がせた。
 ヤツとは、公爵の数少ない対等の友人のことである。時空を歪める者シュレーゲル。この地を生み出した伝説の吸血鬼だ。
 スカルドラゴンは答えない。
 沈黙だけが、通り過ぎていく。
「そうか。どうやら、間に合わぬようだな。仕方あるまい」
 しばらくの間、公爵は窓の外を眺めていた。
 そして、骨となった戦友に手紙を託すと、漆黒のマントを翻して去って行った。
 ギガンティック・スカルドラゴンは知っていた。
 もう、公爵と出会うことはないだろう。


神滅公爵ラインハルト
神滅公爵ラインハルト

 驚いたことに、同じ日、さらなる訪問者が現れた。
 訪問者の声よりも先に、華やかなフローラルの香水の匂いが漂ってくる。
「うん、あいかわらず、ここの瘴気はいいわね。元気が出るわ」
 低く野太い声。かの名高き、人形遣いコルヴィッツである。
 スカルドラゴンは吸血鬼の装束に興味は無かったが、コルヴィッツの衣服が特異であることは理解していた。鍛え上げられた筋肉隆々のオスでありながら、身にまとうのはメスの衣服、体のラインがくっきりと浮かび上がる舞踏用ドレスである。彼と呼ぶべきか、彼女と呼ぶべきか、ともあれ、この個性的な吸血鬼の攻撃技を、他者が「ナイトメア」と冠して呼ぶのは仕方がないことと思われた。
 だが、骸の竜にとっては、そのような些事に興味はなく、それに惑わされることもない。
 スカルドラゴンにとって、彼女(と呼ぶことにしよう)......彼女は、黒の大陸の暗殺部隊「ドール」を統べる魔将であり、この狭間に平然と訪れる魔力の持ち主なのである。
「今日はね、素敵なお土産を持ってきたのよ」
 コルヴィッツはいそいそと、黒曜石のテーブルに手の込んだ手編みのテーブルクロスを広げ始めた。スカルドラゴンはその背後で巨大な顎を開き、漆黒のブレスをまき散らした。
「あら」
 コルヴィッツが、吐息になびくフリルスカートを手で押さえて恥じらった。
 一瞬にして、テーブルクロスがぶすぶすと腐敗して崩れ落ちる。
「折角、殺風景なお部屋をかわいくしてあげようと思ったのに」
 頬をぷうっと膨らせてすねるコルヴィッツ。かわいくない。
 スカルドラゴンは静かに、頭蓋を地面に横たえた。明確な意思表示である。
吸血鬼が切なそうにため息をついた。
「そうね、貴方が義理堅いのは知ってるわ。でも......わかっているでしょう? いつまでも変わらないでいることなんて、できないって」
 スカルドラゴンは答えない。
 コルヴィッツは、骸の竜が胸元に大切そうに抱える手紙にちらりと視線を漂わせた。
「そうよ、いつかは変わってしまうのよ。......だから、ラインハルトは決めたんだわ。」
 コルヴィッツはスカルドラゴンに指を突き付けた。
「いい男の頼みですもの、私はちゃんと仕事をするわよ。いいこと、あの遊び人にちゃんと伝えなさい。『そろそろ本気を出しな。ラインハルトの遺志を無にしたら、人形遣いが許さない』ってね」
 骨の骸は動かない。吸血鬼は静かに息を吐いて、背筋を伸ばした。そして、悲しそうに目を細めて窓の外を眺め、滅びの竜に投げキッスをして去っていった。
 フローラルの残り香だけを漂わせて。

人形遣いコルヴィッツ
人形遣いコルヴィッツ

 それは必然だったのだろう。
 その日、三人目の来訪者が現れる。
メガネをかけた貴公子然とした吸血鬼である。
 時空を歪める者シュレーゲル。その名は、決して伊達ではない。彼が現れただけで、因果が歪み、次元が悲鳴を上げて震え始める。
 相変わらずなことだ......ギガンティック・スカルドラゴンは珍しくも身じろぎし、大きく瘴気の吐息を吐いた。
「ひどいなあ、久しぶりに会ったというのに、ため息でお出迎えかい?」
時空を歪める者シュレーゲルは大げさな身振りで嘆いてみせた。
 その名の通り、この吸血鬼は運命をもてあそびすぎた。因果を歪め、時系列を狂わせ、そうして世界そのものを敵に回してしまった。今や、彼が歩くたびに、考えられる限りあらゆる不運が付いて回る。不幸こそが彼の代名詞であり、彼の周囲において「マーフィは甘すぎる」という言葉こそが真実であった。
「大丈夫、すぐに行くよ。長居したら、この狭間すら『運悪く』壊れてしまうからね」
 貴公子は目にかかった細い髪を払いのけながら、照れくさそうに笑った。
 別にため息をついたわけでも、追い払いたいわけでもない。それはシュレーゲルもわかっていて、軽口を叩いているだけなのだ。
「今、参加しているゲームがつまらなくなってきてね、ちょっとズルをして抜け出してきたんだ。あまりにつまらないから、ちょっと本気を出して無茶苦茶にしてやろうかな、なんて、柄にもないことを考えてね......モチベーションを上げにきたんだよ」
 スカルドラゴンがゆっくりと立ち上がった。
 シュレーゲルがそっと右の眉を上げた。友人が久しぶりに動いたのを見て驚いたのだ。
 骸の竜は、その鼻先で、そっと公爵の手紙をその友人へ押しやった。
シュレーゲルは無言でそれを受けとり、小指で封を切ると、文字を静かに目で追った。
やがて、美しい貴公子は、小さな声でつぶやいた。
「そっか。彼は、決めたんだね」
 シュレーゲルはしばらく目を閉じ、脳裏に浮かぶ思い出に酔った。
 彼が目を開いた時、スカルドラゴンは人形遣いの言葉を伝えた。忠実に再現された念話からコルヴィッツの口調を読み取って、シュレーゲルは楽しげに苦笑した。
「怖い怖い。そうだね、僕もそろそろ選ばなくてはね」
 彼はじっと見つめる。
 窓の外に広がる、無限に繰り返される光景を。

 ある日、彼は間違いを犯した。決して取り返しのつかない致命的な過ちを。
 彼は、それをやり直すために、全てを費やし始めた。
 あらゆる時空あらゆる次元から魔力を狩り集めて、たった1つの過去を変えようした。
 しかし、世界を敵に回し、あらゆる不運を集めても、過去を変えることはできなかった。
 今でも、その窓からは、無限に繰り返される過ちの瞬間が映っている。

 長い時間が過ぎて、シュレーゲルはその美しい瞳を伏せた。もう、その光景はまぶたに焼き付いて離れないだろうに、彼は幾度でもここに戻ってくる。心の中に血を吐きながら、自分のなすべきことを思い出すために。
「じゃあね。そろそろいくよ」
 シュレーゲルは指先で軽く振った。
スカルドラゴンは静かに頭を上げて、声のない咆哮でそれに答えた。
 彼はここを守り続ける。過ちが正されるか、それとも、世界が滅びるまで。

時空を歪める者シュレーゲル
時空を歪める者シュレーゲル



 なんと慌ただしい1日だったことか。
 この狭間にたどりつける力を持つ者は少ない。3人もの訪問者がある日など、世界の終末までこないかもしれない。
 ギガンティック・スカルドラゴンは考える。
 それこそがまさに運命の啓示かもしれぬ。これから、世界は歴史的な変化を迎えるのだ。
 彼は静かに頭を伏せ、再び暖かい瘴気の底で夢の世界へと戻っていった。
 彼が再び戦場に還るその日まで。
 それは、もうすぐそこに迫っている。

 

 


Dimension-Zero Official Home Page ©BROCCOLI